癌の告知をするかしないか、死期を早めるモルヒネ治療をするかしないか、選択肢はあった。癌の告知はしない、モルヒネ治療はする。入院した直後から死去の一日前まで立ち会った。始めの面会では話すことも出来た。肺がんであり、要は窒息死していく病。見ていてつらかった。終末医療の問題をまじまじと感じさせられた。
祖母がぽそっと僕に言ったのは、祖父は毎日来ていた祖母に「これまでありがとう」ってある日耳元で囁いたことでした。祖父は自分の死が近いことを知っていたのですね。
病床についてから吉野家の牛丼が食べたいといっていたらしい。祖父はいろいろと夢を見てきた人だった。政府勤めから商社へ、そして、飲食業の開業など、どれもが成功なのかは分からないが、いろいろ夢を見て、挑戦してきた人。そんな祖父の死を前にした、はかない最後の希望。「牛丼が食べたい。」叶えて上げられなかった。
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