2014年3月15日土曜日

小保方晴子氏の顛末と日本の高等教育のあり方について

STAP細胞についての発表で、小保方晴子氏の文書の正当性が揺らいでいる。

小保方晴子氏の博士課程の論文についても海外の文献をコピペしていたことが明るみでた。

適当な文献をグーグルで探して論文を作るのは日本に限らず学生では良くある。有名無名に限らず、学士レベルではその傾向は高い。

大学やそれ以上の高等教育機関は、本当に学問を志す人にだけ門を開けるものでなければならない。日本の大学や大学院を見てみると、周りがいくからや学士時代就職ができなかったからなど、あいまいな気持ちで履修している人間があまりにも多い。教員の地位が守られすぎており、生徒の教育より、生徒の試験を簡単にすることで、生徒に好かれていたい、楽な老後を過ごしたいと思っている教員が多いのは気のせいだろうか?人当たりはいいかもしれないが、本当に世界に通じる人間を育てられない。

研究でズルをしているのは小保方晴子氏だけでなく、日本の学生の多くがやっている。小保方晴子氏はSTAP細胞の件で大きく取り上げられただけに、落ちるときも大きく落とされた。

この事件を受け、常に思い続けていことは再認識した。1)日本の高等教育のあり方が抜本的に見直されるべきである。そして、2)終身雇用の撤廃が社会の全てで徹底されなければならない。

ちょっと、1)の高等教育について一言。。

日本に必要なも人材は、「海外でも日本でも社会のためになることで効率的にお金儲けの出来る人間、リーダー」である。世の中、この素質を身につけられれば大概は幸せに一生を過ごせる(可能性が高い)。そして、そんな人たちが税金を払って、日本の社会保障制度を立て直していくことが期待される。

この素質には、学校といった概念を必ずしも必要としない。昔は、義務教育もまともに受けていない起業家が五万といたし、会社を支えていたのである。それがいつの間にか、大卒でないと企業に応募できなくなったり、中卒、高卒の社会からの評価が下がり始めた。

中卒、高卒の評価が下がったのは、実際に中卒、高卒の質が下がったことと関係する。例えば、戦前に、現在であれば有名な大学にもいけるだけの能力を持った人間が、大学に行くチャンスもなく中卒、高卒として働いていた。

「(語学の面で海外はないかもしれないが、)日本で社会のためになることで効率的にお金儲けの出来る人間、リーダー」の素質を持つ人間が今より格段にいたのではないだろうか。

現在は、立身出世の志をもって中卒、高卒を選んだりするのは稀であり、にっちもさっちもいかなくなった人たちがいわゆる中卒、高卒のグループを代表してしまっているからである。

日本の労働人口は少なくなっているというが、中卒、高卒で社会にでて社会のために金儲けのできる素質をもっている人間は働ければ、労働人口の問題はそれほど深刻ではない。中卒だから、高卒だからといって受け付けない企業や政府が門を開けなければならない。つまり、日本にとって必要な人材を、高等教育の有無と関係なく、十分にを羽ばたく「機会」が与えられる社会が必要なのである。

2)終身雇用の撤廃は、なぜかというと、企業でも、大学でも能力・成績に関係のない安定した地位が与えられる前提に立つと、採用側は、申し込む人間を制限したくなるのだ。例えば、「大卒」、「有名大卒」、「有名企業での勤務経験」、「年齢」、「性別」などなど。仕事で十分な成果が出せないのならすぐにクビに出来る制度が必要である。そして、雇用は全て最長で5年くらいまでの有期雇用にする。

1)および2)には、絶対の前提がある「高等教育は、誰にでも与えられる」ようになることである。
通信でいいので、出来る限り全ての教育を無料で、人生のどの段階でも受けられる、そして、成績を残せば学位・資格なりが与えられる制度が必要だ。医療や法曹、技術系などタブーなく全ての分野で、この高等教育の自由化を徹底されなければならない。

どうでしょうか?

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