2009年10月10日土曜日

祖父

祖父の命が消えつつある。

癌におかされた祖父は痩せていた。小さな会社だったが、経営者として力強く生きてきた祖父は私のヒーローである。私が、初孫だから孫の中では一番祖父を知っている。祖父の住む豊橋への旅はいつも楽しかった。家へ買えるときはいつも泣いていた。夏休みはいつもきまって蒲郡の大島に海水浴に行った。祖父の仕事の内容は薬の商社であることぐらいしか知らなかったが、ある日祖父に名古屋の顧客まで車でついていった事がある。長い間車を運転して、前にいるマナーの悪い車にやじを飛ばすこともあった。その時、マクドナルドのシェークを買ってもらった。数時間の連続運転、仕事は厳しかったと思う。仕事の後はよくビールを飲んでいたことを覚えている。
幼い時分に実家で祖父と遊んでもらった時、祖父の投げたボールは力強かった。

80歳を超えて、会社社長を退いてからも、地域の自転車置き場の経理として毎日のように家から自転車で通っていた。彼は日本の復興期を支えてきた一人である。

今日の祖父の腕は枝のように細かった。ふくよかであった祖父の頬もこけていた。スプーンを持ち上げることでさえ辛そうであった。

大学の入学式に来てくれた祖父母。第一志望の大学にいけなかった私は、祖父母と会うことなく家に帰った。入学式、あの会場のどこかで祖父母は喜んでくれていたのだろう。写真一枚でもいっしょにとってあげたら良かったと思う。以前、台湾に行きたいといっていた祖父。私が昨年でも日本にいれば、いっしょに行けただろう。色々なことに後悔はつのるばかりだ。ついこの間までは自転車で買い物も行っていたと聞く。ここ2週間ほどで様態は急変したのだった。

奇跡がおきてくれないだろうか。過ぎた時間は取り戻せないのだろうか。もう一度、昔のように蒲郡の大島で海水浴したり、豊川稲荷にお参りいったり、家の軒先で花火で遊んでくれないだろうか。

おじいちゃん、いまお別れするのは僕はつらいです。本当につらいです。

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