2013年5月6日月曜日

中米から帰国

先月(4月)は中米で過ごした。

仕事で忙しかったが、余暇を過ごす時間もあったので無人島に友人たちといった。

赤道直下の太陽を甘く見ていた5時間ほど外にいたのだが、家に帰ってから寒気や食欲減退、下痢などが続いた。それから2週間たった今になってやっと食欲が出てきた。
皮はまだ向けてない部分もある。人生ではじめての日焼けしすぎの経験だった。

さて中米には去年もいった。今年は去年以上に仕事であった。朝はスペイン語を学び、それ以外は事務所で仕事。日々の中で成長するラテンアメリカ市場を見た。
長年中国で働いてきたが、成長の度合いは中国と変わらない。各地に工事現場があり、発展途上国の風景である。

ただ、アジアとは異なる経済成長を遂げてきていることは明らかである。例えば、アジアと違うのは人々の生活の質である。

ポジティブな人が多い。これは暖かい気候や中国に比べて高い社会保障が影響していると思われる。

私が事務所を構えるパナマで言えば、医療費はただである。最低月収は400ドル(2013年現在)であるが、これは東南アジアの多くの国の平均よりも高い。その上、ちょっと森に入れば果物がただでなっており、気候がいいのである意味、家も屋根さえあればよい。同じ収入でも生活の質はアジアの多くの国よりもよい。

車は日本車がつよい。現代自動車がここ数年でシェアを伸ばしているが圧倒的に日本車が多い。(ちなみに南米は欧米メーカーがつよい。)電化製品は、白物では世界の例外にもれず日本メーカーは韓国勢に圧倒的に水をあけられている。家電売り場を見るとサムソン、LGが売り場の70%を占めている。韓国企業との付き合いもあるが海外市場に対するやる気が違う。
そして、20%はアメリカのワープールやGEである。そして残りはパナソニックが申し訳なさそうに売り場の端にたたずんでいる。東芝や日立、シャープは見る影もない。液晶家電でソニーを見るがその他の日系企業の姿がやはり見えない。

現地の人間の日本製品の評判は高い。大手の企業は元気のあった10-20年前に中米に進出しているがそのころの中米は内戦や治安の問題など商売どころではなかった。

ちょうど今が中米は市場成熟度が参入に適している。日本の企業はこの市場ではまだまだ戦える。しかし、それだけの資源をしかるべき分野に投入できていない。いろいろと残念な点が目に付いた。

お声おかけいただければ、私のほうでもっとサポートをしていく予定です。

2013年3月27日水曜日

奨学金問題対策全国会議が発足 奨学金の返済ができない人の急増が背景

親が交通事故にあい家が苦しかったので奨学金にはお世話になった。別に頭が良かったわけではないが、家が苦しかったので奨学金がおり、学校を辞めずにすんだ。奨学金には助けられた一人として思ったことを書いてみる。

ここ数年耳にし始めたのは、奨学金を借りてそのまま返さないで逃げる人が増えているということ。実際に踏み倒した人ともあったことがある。一流大学をでて一流企業に入った方だが、社内でも借金を繰り返したあげく(しかも返さない)、適合できずにやめてしまった。頭は良かったのだろうが、その人の上司からは会社ではまったく使い物にならないととの評価だった。今ではどこにいってしまったのかもわからない。

今日のニュースでは、不況や就職難で奨学金が返済できず、厳しい取り立てを受けたり、自己破産したりする若者が急増しているとして、全国の学者や弁護士らが「奨学金問題対策全国会議」を立ち上げた。

アメリカでは奨学金を借りるのは当たり前で、学費が高いアメリカだけあって、卒業と同時に日本円で1000万近い借金を抱えていることも普通である。新卒採用も基本的になく、それに不況なので仕事がみつからないでいるひとは多い。とりあえず、借金を返すため日本、韓国や中国で英語の教師などしているアメリカ人が多いのはこんな理由である。それにくらべれば日本の状況はそれほど悪くない。

日本に限ったことではないが、そもそも奨学金を借りるということは、それの借りたお金で勉強して、その能力をもとに一生懸命働いて返すことが前提になければならない。それだけの覚悟をもって借りている人がどのくらいいるのだろうか?

入って遊んでいるだけの大学がおおく、受験で一生懸命勉強して入るときから能力は下がったまま卒業にはつかえない人間となってでてくる学校はごまんとある。

いま奨学金をかりようと考えている人は立ち止まって真剣に考えてほしい。学校の名前などどんどん意味が無くなっている世の中になる。一流大学を卒業しソニー、シャープやNECに入った人々が無能だとして大量に首切りにあっている。

では、学校の名前・卒業証書ではない中身を見なくてはならない、このお金を返して、さらにそれ以上に社会貢献できるほどの能力・コネなどを得る場をこの学校が提供してくれるのだろうか?

その答えがYESなら借りたらいい。必死に勉強して、いい仲間を作って、大もうけして社会に貢献してほしい。

その答えがNOなら若いうちから借金などつくらないで、まずは社会に出てできるだけお金のかからない方法で能力を高め、がつがつ稼いでいってほしい。

学校に入るのはある意味いつでもできる(学ぶだけなら、大学に入らなくても講義に参加させてもらうことだってできる)。学校で得られる能力が必要になったときに学校を使えばいい。

みんなが目的意識もなく進学する風潮の今、奨学金のありかたよりも、学生の目的意識のあり方が問われている。

家が貧しくて周りが羨ましかった。周りの家だって本当はそれぞれ事情を抱えていたはずで何も自分の家だけが貧しいわけではなかったはずであるが当時はそんなことには気づかなかった。奨学金だって借りるのは恥ずかしかった。今になって思うが、貧しく生まれるのも人生でそれは変えようがない。しかし、生まれてからの人生は自分でどのようにも変えることができる。

コネも金もなく生まれてきたので、それを嘆いていても何も変わらない。自分は他の人より100倍働いて、100倍早く動いて、100倍もの/人を知り、100倍考え抜いて、100倍リスク管理にも気を配らねばと言い聞かせている。

2013年3月25日月曜日

カリスマ社長のアパレル 二度目の失望

先日、いまや日本を代表する有名なカリスマ社長の率いるアパレル会社の二人いるナンバー2のうちのお一人の方とお話しする機会をいただきました。

またとない機会でありいろいろと質問しました。

結論としては、この前にあった外資の日本事業会社トップのときと同様に失望だった。

まず、人の目を見て話すことができない。この基本ができていないと、海外に多く出店している同社であるが、現地の方からの信用を得ることは難しい。そして何よりもショックであったのは、言葉尻だけの薄っぺらい話しかできない方だった。

日本ブランドをアジアで前面に出していくことのリスクについて話していると、日本に来れば反日の人だって親日に変わるから大丈夫という趣旨のことを話しておられた。これが日本を率いるアパレルブランドの中心人物の一人の考え方なのかと耳を疑った。

たまごか鶏かの議論にはなるが、日本に来る人はもともと親日の方が多い。同社は安くてよいものを世界に売り出しているので、そのターゲットはそうやすやすと日本にこれるような人々でもないわけです。ちょっとした事象でも、突然反日になってしまったりする人々なわけです。

だから同社には海外のブランドも含め様々(賃金、文化、国、歴史認識のレベルが異なる)な人にそれぞれ訴求できるブランドを買収し、提供する必要性を説きました。これができている日本の企業は皆無であり、日系他社を率先垂範していく同社のとるべき路線だと信じている。(この点は以前にも、日本ブランドについて書いたときに指摘したことです)

でも、結局のところ、このような方針は同社には合わないとでもいうような感じでした。最近では社内の店舗の職員の過酷な状況を暴露されて、PR戦略についても疑問をもたれている会社である。

カリスマ社長についてはとても尊敬している方なので、同社長が舵取りをしていれば会社はうまくいくのかもしれない。しかし、これから3,4年たてばその社長さんも引退するのだろう。そのとき、このような人がトップになれるのだろうか。

日本を代表する企業のトップレベルの方なので仕事も私よりも格段にできるのだろう。
今回の一軒は、こちらの切り込み方が悪かったので薄っぺらい話しかできなかったのかもしれない。

そうであることをただただ願わんばかりである。そうでないのなら、同社の将来はかなり厳しい。


2013年3月10日日曜日

合コンでお漏らしは普通か?

日刊SPAの記事について

2012年12月16日付と少し前の記事だが気になったので取り上げる。

「女性たちはドン引きする怪行為は」とのアンケートが特集されている。

一位は「女子トイレの汚物入れを見た」、こんな男がいれば引くのは分かる。第2位もトイレネタで引くのは分かる。トイレの中のことなどで確認しようがないが、こんな男もいるのだろう。

第3位はというと、日刊SPAはこのように続ける「男性がつい飲みすぎてやってしまいがちなのが、「ウンコをもらす」。生理現象なので大目に見てほしいところだが・・・」とある。

学生時代から軽いものからかなりヘビーな飲み会まで参加してきているが、小便をもらすのも聞いたことも見たこともない。それが大便をもらすやつがいるとのこと。そんなことがあれば引くのは分かるがこれは公衆で起こりうることなので自分のこれまでの経験で判断できる。

男性がつい飲みすぎてやってしまいがち・・・」と始まるのは、この筆者はよくしてしまっているような書き方である。

文中には合コン参加者の声として、大便をもらした男に対する意見として「大人なんだから、体調ぐらいちゃんと管理しとけ!」(33歳・食品)、「匂いが気になって、どんなカッコイイ人でも、恋愛感情はとてもじゃないけど抱けない」(27歳・印刷)とある。参加者女性の体験談もあるとなるとそんなこともあり得るのだろうかと思ってしまう。

飲みすぎてゲロをはくのは自分もしたし、何度も見てきた。おならもあるが、大便をもらしたのはしたことも、見たことも無い。そもそも、居酒屋にトイレの一つや二つは少なくともあるのだから、幼稚園児ではなく、大の大人ならばもらす前にトイレにいくのではないだろうか?

自分の参加してきた飲み会が普通じゃなかったのだろうか?みなさんはこのような状態に遭遇したことはあるのだろうか?

2013年3月5日火曜日

宗教?勝谷誠彦氏「そこまで言って委員会」クビの理由

関西時代は良く見ていた番組に「そこまで言って委員会」があった。

2012年末に惜しくも亡くなられた三宅久之氏を始め辛口評論家が多く、関東のTVタックルよりも面白かった。

たかじん氏が、この番組は過激な内容だから関東では放送できないといっていたのを覚えている(たかじん氏が関東嫌いなこともあるのだと思うが)。

今回はその論客の一人であった勝谷誠彦氏が首になったとのこと。

どうも理由は同氏の宗教がらみの発言があったと思われる。

有名政党を有す宗教名と勝谷誠彦氏の名前を検索すればどのような事情があったかはお分かりになると思う。ざこば氏と共演していた時の発言である。

これを機に「そこまで言って委員会」の過激さに歯止めがかかってしまうかもしれないので、心配だ。

もし今回の推測が正しいとすれば、宗教を信じることは自由だが、言論の自由がそれによって阻害されてしまうのはいかがなものか。

2013年2月4日月曜日

本当に稼ぐ人は、長財布を使うのか?

稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?」という本を読んだことはありますか?コンビニに一昔前にコンビニにおいてありました。

長財布はお金を大事にする心の表れであり、また年収は、財布の値段X200であるということが主旨です。この本を読むと、ある程度の金額の長財布をつかっていればお金持ちになれるように感じるのですが、本当にそうなのでしょうか?

長財布である必要については、お金があればお札のたくさん入る長財布が重宝されるのはごく当たり前のような気がします。大手ブランドの高価格帯の財布をみると、多くが長財布です。表面積が大きく高級感のあるデザインができるのが長財布でありブランドとしても好んで作るデザインでしょうし、それを買う需要が根底にあるわけですから、お金がある人に好まれているのは確かなようです。だからといって長財布を使えば、成功者の仲間入りができることはないでしょうね。

価格については、ある程度の年収になればそれ相応のものを身に着けることが「多い」ですよね。ポルシェのカイエンに乗っている人は、ポルシェのカイエンに乗っているから金持ちになったのではなく、金があるからカイエンに乗っているのでしょう。

事業をしている人間の話を聞いていると、乗っている車でお客さんにうまく行っていると思わせる為に無理して高級外車に乗っている人もおります。ただ、多くのビジネスでは外見は大事なのでしっかりとしたモノを使っている人は仕事についてもしっかりとした考えをもっており成功する可能性も高いです。

ということで、同書は、(ターゲットであると思われる)仕事・事業で成功したいと思っている読者に対して「稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?」というよりは、外見で判断されるから身なりに気をつけなさいということを言えばすむのではないかと思っています。

ちなみに私は中学のときに温泉街で龍の絵の入った長財布(デザインはちょっとアレですが)をかって使っておりましたがまったく成功らしい成功はなかったです。今は長財布ではなく人にもらった普通の折りたたみ財布をつかっております。だから成功しないのかも知れません。

筆者の方は、財布はお金のホテルであり、長財布にはVIPであるお札、小銭入れにはそうでない小銭をいれて区別するべきとのお考えですが、私はお札も小銭もなかよく大切にする為一緒に入る財布にしております。

みなさんはどう考えますか?


2013年1月10日木曜日

ある欧米企業トップとの対話

2012年のひとコマ。ある大手欧米メディア企業のトップと話をする機会をいただいた。世論を動かすほどの力を持つ会社でありそのトップがどのような考えで企業を動かしているのとても興味があった。

その方は自社のウェブサイトにブログを載せて仕事観や企業のあるべき観を綴っている。言っていることには共感できる部分も多いがかなりリスキーなことをする人だなと感じていた。

つまり、そのブログでは具体的な企業名も出して憚らないし、企業批判もする。顧客の側からしてみれば、批判された会社はこの会社とは取引をしないであろうし、現在の顧客でもトップはこう考えているが自分は違う、このような考え方をするトップが率いる会社に仕事は任せられないと仕事を継続してくれなくなる可能性も十分にある。
だから多くの企業のトップは自分の意見をあからさまに公開することはしないのである。

一番きいてみたかったことを訊ねた。

「顧客と自分の理念は必ず合致するとは限らない(多くの場合は合致しない)。自分の信条と異なることも仕事上は行わざるを得ないのではないか?その時どのように対処するのか。」

このような答えを頂いた。「信条とことなることをしなくてはならなかったことは創業以来一度もなかった。」

すばらしい答えであるが、失望した。

人それぞれが必ず違うように必ず仕事間では思惑のズレは生じるものである。特に会社がスタートしたばかりでは、自分も経験したが、まずは会社の生き残りをかけて死に物狂いでお客さんをとる。

もしかするとこのトップは本当に恵まれており、最初の顧客から現在まで同様の信条・思惑をもつ顧客だけと仕事をして事業を行えているのかもしれない。

顧客のニーズを正確に把握し、そのニーズを、社会・企業倫理に反することは別として、自社ができる限りの中で最大限実現化するのが企業のあるべき姿だと思っている。顧客のニーズは自分ではこうあるべき観とは少なからずズレはあるもの。

お客様相手の商売である限り、自分の信条を事業スタートの第一歩から100%貫き通すことは出来ないし、間違っているかも知れない自分の信条を省みて常に批判にオープンな姿勢で仕事に臨む、これが私の経験則。

まったくこのようなことがなかったとするトップの発言に、違和感をもってしまったのは自分の経験が普通でなかったからなのだろうか。