2009年9月17日木曜日

友達

長年の友達をもっているか。良い友達は多ければ多いほど良い。しかし、友達であり続けることは難しい。例えば遠隔地に移ってしまった後、昔の友達との連絡は年に数度。そして連絡が途切れてしまうことも有る。又は、学校の卒業や転職と同時に切れてしまう縁もある。その時、なにか自分が悪いことでもしたのではないかと考える。この姿勢は、将来の友達を作っていくうえで重要である。過去を振りかえり自分を良い人間にしていく努力をする姿勢、そして同時に、人にはいろいろ事情があるのであるからと、あきらめる姿勢をもつことが大切だろう。

2009年9月16日水曜日

戦争を知らない子供達

戦争を体験していない僕らの世界から、戦争を実際に体験した人が消える日がこわいです。
ある人は世の中の戦争は消えないというでしょうが、世の中の戦争は確実に減っており、日本においては60年ほど戦争は起きていない。その意味で、僕らの日々の生活から戦争の記憶・体験は薄れています。
日本では今から20、30年後、戦時に生まれた方はいるでしょうが戦争の実体験を語れる方は殆どいなくなってします。戦争の悲しい思い出がない世界になるという意味で人類にとって最良のとなるとともに、痛みを忘れたものは再度過ちを繰り返しうる最も危険なときでもあります。

どうにか戦争を体験した人々の声を残せないかと考えています。日本に限らない、世界で戦争体験者の言葉を、その言語のままで残していきたい。

2009年9月12日土曜日

よく寝れる人

よく寝つけない人 よく寝れる人がいる。

これは寝れる寝れないの能力とはほぼ関係ない。

よく寝れない人とは、それまでにいろいろ悩みを抱えそれらを解決できていない人であり、よく寝れる人は、寝る前までにそれなりに解決をつけられている人である。

床に就くまでの問題解決能力が、寝れる人、寝れない人を分けるだけ。

2009年9月10日木曜日

今を生きる意味

自分の存在意義はなにか?自分が死にゆく存在であることを幼い頃に感じた。それ以降、存在意義については時々考えさせられる。

存在意義にはいろいろな種がある。

自分の為に生きる。例えば、お金を稼いで、また偉業を行いそこから得られる他人からの賞賛、自分が他から必要とされているという感じ(虚構であったとしても・・・)。
他人の為に生きる。例えば、自分を育ててくれた親、自分の子供や配偶者を養う為等。

これらの混合した感じから、人々は自己の存在意義を見出している、実際にはそうでないにしても、そうであると自分に言い聞かせているのだろう。

これらが感じられなくなった時、人は生きている意味が無いと感じる。そんな時、上記しなかった理由、地球の為に生きると考えることが論理的だろう。地球の一部でしかない人間、その存在目的は地球的に言えば、地球の運営に資することである。人間の体が小さな細胞によって運営されているのと同様、人間も小さな一部として地球を運営している。

2009年9月3日木曜日

空中分解

幕末の志士を思う。昔のように国を思い国の為に生きる政治家はいるのだろうか。目的の無い若者達が自益のみを考えながら無為な生産をしている。黒船が来るまで平和ボケしていた国民、今の日本に近い状態を見る。これからまた志士たちが現れなくてはならない。そして、日本はこれからも強く伸びる。
日本を統率の無い国に成り果てさせてはならない、日本の空中分解は防がなくてはならない。

2009年8月29日土曜日

大男 小男 やるき 皆

どんなに大男でも鍛錬を積まなければ強い男になれない。小男でも鍛錬を積めば強い男になれる。日本は一度それを世界に見せ付けた。これからも見せ付けていくことができる。
何が肝要か、「やるき」。
日本の食糧自給率の低さ、エネルギー資源の少なさ、これらは心配である。しかし、「やるき」でこれらは変えられる。やるきをもって皆で協力し合う。国民皆で小さな菜園で少しの野菜を作る、どれだけ、自給率が上がるだろうか?国民皆で省エネを徹底する。個々が自分の好きなことをする社会になったといわれるが、「皆」でするという概念が日本では見直されなくてはならない。日本はばらばらの個人主義社会になっては生きていけないのだ。
皆でやるきをもって困難を潜り抜けていく国家なのです。

「皆」で「やるき」はどこからくるのか?教育です。

カルト 宗教教育

カルト教団は色々なところに潜む。経済がおちこみ将来に不安があふれてくると、ひとびとはいろいろなものに助けを求める。戦後最悪の失業率を迎える日本。多くの人が不安を抱えている。カルト教団が巨大化して、政治力をもつことは世界で見られる。その課程でカルト教団は一般の宗教に近い存在として認められたりする。大きくなったカルト教団は政府からにらまれる、一般からにらまれる。そこから大それたことはできなくなる。しかし、小・中規模カルト教団は私達の見えないところで様々な活動をおこなうだろう。経済の悪化が続く日本では、これら小・中規模カルト教団はさらに社会の脅威となると考える。

宗教に関する教育は学校で取り入れられるべき。子供の頃から様々な宗教をおしえること、不安を抱え助けを求めるとき、そして助けの先が宗教であれば、宗教を選ぶ基準をあたえることで、カルト教団など安易に介入しない抵抗性ができる。ドイツでは取り入れられている。ドイツの場合、移民のインテグレーションの意味が強いと思うが、宗教教育が人間にカルトへの対抗性を与えることは出来ると思う。