野々村竜太郎氏が説明のつかない政務活動費計約300万円を支出していたことが問題になり、会見場で号泣する姿が国内外に報道されている。
いろいろな事情があったことなのかもしれないので、現時点で決めつけてしまうのはよくないが、邪推をしてみれば、2011年に県議会に当選し、仕事にも慣れてきて、いろいろと悪知恵がついた頃なのでは考えてしまう。
不正な支出であることが分かれば、未熟な人間を選んでしまった方々はさぞ後悔することだろう。
ただ、この行為が野々村議員特有ではないような気がしてならない。同じようなニュースがほかの議員でもという報道がだんだん出てきている。
このニュースを見て、どうにか穏便に済ませてほしいと思っている議員が何人もいるのではないか?
議員は大会社の役員よりも影響を及ぼす範囲が広い。数えきれない人々の生活、将来にかかわる仕事である。
命をかけてやる仕事だ。命をかけられない人間は政治の世界にいる価値はない。今、政治の世界をみて、そんな人間はいるのだろうか?
2014年7月3日木曜日
2014年6月23日月曜日
日清VS明星 企業間対決企画?どちらも同じ会社
東京ウォーカーにて、「日清のとんがらし麺」と「明星すこびる辛麺」の企業間辛口バトルなる記事がでているが、広告記事である。
明星は日清の子会社化されているからできる企画である。どちらを買っても、日清グループの利益になる。
日清グループと関係のないエースコックやサンヨー食品なども参戦すれば面白いが、それなら日清がPRすることはないだろう。
日清グループと関係のないエースコックやサンヨー食品なども参戦すれば面白いが、それなら日清がPRすることはないだろう。
2014年6月20日金曜日
都議会 塩村文夏都議(みんなの党)に野次を飛ばした議員特定
先日、塩村文夏都議(みんなの党)に自民党の議員がセクハラ野次を飛ばした事件。
都議会自民党の吉原修幹事としては、野次を飛ばした議員の特定をしないとのことであるが、特定及び処分を求める世論の声は高まっている。
自民党に属す幹事としては、特定しないというのは、モラルのない野次を飛ばすような考えを持っている仲間でも、守るとの意思表示であり、自民党のためにならないのではないか。別の見方をすると、野次の内容に同調していると党として表明してしまっていることにならないだろうか。
むしろ、モラルのない議員をメンバーにしてしまったことを恥じ、公の場で裁き、モラルの高いメンバーの育成をしていく姿勢が与党として求められる。
塩村文夏議員自身は、テレビ番組「恋のから騒ぎ」時代の言動が物議をかもしてはいるものの、ヤジの内容及びヤジ行為がいただけない。反論があれば、公の場でしかるべき方法にて行うべきだった。
これだけ騒がれていながら、表にでてくる度胸もない人間を選挙で選んでしまったということなのだろうか。本人(報道では、尖閣問題で話題になったS議員と疑われている)は、どのような心持でいるのかまったく想像できない。謝罪なりをするべきであることに変わりない。
最近もあったことだが、特定の党に限らず失言をしたあと「撤回」が多い。撤回をしたらその発言をした人間性が変わるとでもいうのだろうか。
国益のため、各国とやりあう人間として、公の場での発言能力は最重要スキルの一つである。失言をしている議員さんをみると、メディアにでないところで、何度となく「撤回」に値するような発言をしているのではないかとかんぐりたくなる。
政治に関して、残念なニュースが多い。
2014年6月23日アップデート:
S議員こと鈴木章浩自民党都議がヤジの張本人であることを認めた。つい先日まで自分ではないと否認していたのに、残念な結果である。政治家というのは誇り高く、ぶれずにいてほしかった。この鈴木章浩氏をかばっていた人も同じように責任がある。悪いことを悪いといえない人が日本の政治を担っていると考えると悲しい。
都議会自民党の吉原修幹事としては、野次を飛ばした議員の特定をしないとのことであるが、特定及び処分を求める世論の声は高まっている。
自民党に属す幹事としては、特定しないというのは、モラルのない野次を飛ばすような考えを持っている仲間でも、守るとの意思表示であり、自民党のためにならないのではないか。別の見方をすると、野次の内容に同調していると党として表明してしまっていることにならないだろうか。
むしろ、モラルのない議員をメンバーにしてしまったことを恥じ、公の場で裁き、モラルの高いメンバーの育成をしていく姿勢が与党として求められる。
塩村文夏議員自身は、テレビ番組「恋のから騒ぎ」時代の言動が物議をかもしてはいるものの、ヤジの内容及びヤジ行為がいただけない。反論があれば、公の場でしかるべき方法にて行うべきだった。
これだけ騒がれていながら、表にでてくる度胸もない人間を選挙で選んでしまったということなのだろうか。本人(報道では、尖閣問題で話題になったS議員と疑われている)は、どのような心持でいるのかまったく想像できない。謝罪なりをするべきであることに変わりない。
最近もあったことだが、特定の党に限らず失言をしたあと「撤回」が多い。撤回をしたらその発言をした人間性が変わるとでもいうのだろうか。
国益のため、各国とやりあう人間として、公の場での発言能力は最重要スキルの一つである。失言をしている議員さんをみると、メディアにでないところで、何度となく「撤回」に値するような発言をしているのではないかとかんぐりたくなる。
政治に関して、残念なニュースが多い。
2014年6月23日アップデート:
S議員こと鈴木章浩自民党都議がヤジの張本人であることを認めた。つい先日まで自分ではないと否認していたのに、残念な結果である。政治家というのは誇り高く、ぶれずにいてほしかった。この鈴木章浩氏をかばっていた人も同じように責任がある。悪いことを悪いといえない人が日本の政治を担っていると考えると悲しい。
千葉県市原市 中2女子連れ去り未遂事件 性犯罪者を社会から締め出せ
千葉県市原市で、中2女子連れ去り未遂事件がおきた。
事件発生時、偶然、対向車があり事件を未然に防げたのがよかった。
ニュースを見るかぎり、この犯人は今回の事件発生から数ヶ月前すでに別の女子に対する暴行事件も起こしていた。同じようなニュースでうんざりさせられる。こういう犯罪者は、島流しでもなんでもいいから、社会に二度と出さないでほしい。
米国では性犯罪者の情報は公開されている。犯罪者の社会更正の観点から批判もされているが・・・、人間は基本的には変わらない。
生まれた環境、育った環境が人間をつくる。環境が悪かったのかもしれない。しかし、人間は基本的には変わらない。
この事件の犯罪者にも厳罰を望む。
事件発生時、偶然、対向車があり事件を未然に防げたのがよかった。
ニュースを見るかぎり、この犯人は今回の事件発生から数ヶ月前すでに別の女子に対する暴行事件も起こしていた。同じようなニュースでうんざりさせられる。こういう犯罪者は、島流しでもなんでもいいから、社会に二度と出さないでほしい。
米国では性犯罪者の情報は公開されている。犯罪者の社会更正の観点から批判もされているが・・・、人間は基本的には変わらない。
生まれた環境、育った環境が人間をつくる。環境が悪かったのかもしれない。しかし、人間は基本的には変わらない。
この事件の犯罪者にも厳罰を望む。
2014年6月6日金曜日
高価なゴミ Sony VAIO Fit 13A
久々にPCを買い替えたが失敗した。
携帯用にMac AirかSonyかで迷ったが、Windows PCでは他社に比べてSonyは少し高めだが、好きなブランドなので、タブレットとPCになる独創的なデザインに惹かれてSony VAIO Fit 13A(Windows 8.1)を購入。
ただ、これが残念の連続の始まりだった。
このPC、購入して届いたその日からタッチパネルが不調。矢印カーソルが二つも画面に現れる、タッチパネルが反応しないという問題で、使えなかった。
その4日後にSonyのカスタマーセンターに引き取ってもらい、5日前後でチェックして回答とのことであったが、一ヶ月近く経過しても返事がない。こちらから電話をしてみると、まだ返品が多く、チェック作業が出来ていないとのこと。
その後、不良が認められ、新品に交換となった。新品が届いて使ってみると、前のものほどではないが、まだ一定の状況下でタッチパネルの反応しなくなる問題が改善されておらず、また、Windowsのライセンス認証ができていないという表示が出るようになった。
カスタマーセンターからの指示でいくつか補修のアップデートを行っているところであり、これで全てが解決すればと願っている。
カスタマーセンターには何度も有料で電話をかけ、そのたびに10-30分ほどの時間を費やした。仕事に費やせたはずの貴重な時間である。
この新しいPCには信用が置けないので、作業は昔のPCで続けることとなり、置物となっている。トマソンである。
ここまで問題が続くと、当分はインテリアとしてネットを見るくらいでしか使えない。また、以前買ったXperiaの携帯は半年ほどでWifiが使えなくなりただの携帯になった。
自分の子供のころの憧れであったSonyはどうかしてしまったのか、もともとこのような会社だったのか、この会社の製品は買いたくない。
同時期に机作業用でマックブックも買っているが、こちらは大丈夫だ。ただApple製品も以前購入したマックブックは品質では、問題続き(時々カチカチという音が修理してもらったのに直らず、アップルストアーの人もお手上げだった。)。
私が経験したようなことはSony製品を買った人のほんの僅かに過ぎないのだと思う。価格comで、Sony以外の製品も含め製品全般で、今回自分が経験したようなことを口コミに書いている人をみて、そんな馬鹿なと思っていたが、いざ自分に降りかかってくると最悪だ。
このような問題はSony製品では一切経験したことがなかったので、考えてもなかったが、仕事で使うには、ブランドやかっこよさははなくても、シンプル且つ発売されてから数年経ったPCを買うのが一番と思い知らされた。
(近況報告だが、昨日、Sonyから再度新品交換の申し出があった。早速、販売店に返品、返金が受理されたところである。カスタマーセンターには
度重なる問題で電話代を使わされ、それよりも貴重な時間を使わされ、よい勉強になったが、こんな高価なゴミともお別れである。)
携帯用にMac AirかSonyかで迷ったが、Windows PCでは他社に比べてSonyは少し高めだが、好きなブランドなので、タブレットとPCになる独創的なデザインに惹かれてSony VAIO Fit 13A(Windows 8.1)を購入。
ただ、これが残念の連続の始まりだった。
このPC、購入して届いたその日からタッチパネルが不調。矢印カーソルが二つも画面に現れる、タッチパネルが反応しないという問題で、使えなかった。
その4日後にSonyのカスタマーセンターに引き取ってもらい、5日前後でチェックして回答とのことであったが、一ヶ月近く経過しても返事がない。こちらから電話をしてみると、まだ返品が多く、チェック作業が出来ていないとのこと。
その後、不良が認められ、新品に交換となった。新品が届いて使ってみると、前のものほどではないが、まだ一定の状況下でタッチパネルの反応しなくなる問題が改善されておらず、また、Windowsのライセンス認証ができていないという表示が出るようになった。
カスタマーセンターからの指示でいくつか補修のアップデートを行っているところであり、これで全てが解決すればと願っている。
カスタマーセンターには何度も有料で電話をかけ、そのたびに10-30分ほどの時間を費やした。仕事に費やせたはずの貴重な時間である。
この新しいPCには信用が置けないので、作業は昔のPCで続けることとなり、置物となっている。トマソンである。
ここまで問題が続くと、当分はインテリアとしてネットを見るくらいでしか使えない。また、以前買ったXperiaの携帯は半年ほどでWifiが使えなくなりただの携帯になった。
自分の子供のころの憧れであったSonyはどうかしてしまったのか、もともとこのような会社だったのか、この会社の製品は買いたくない。
同時期に机作業用でマックブックも買っているが、こちらは大丈夫だ。ただApple製品も以前購入したマックブックは品質では、問題続き(時々カチカチという音が修理してもらったのに直らず、アップルストアーの人もお手上げだった。)。
私が経験したようなことはSony製品を買った人のほんの僅かに過ぎないのだと思う。価格comで、Sony以外の製品も含め製品全般で、今回自分が経験したようなことを口コミに書いている人をみて、そんな馬鹿なと思っていたが、いざ自分に降りかかってくると最悪だ。
このような問題はSony製品では一切経験したことがなかったので、考えてもなかったが、仕事で使うには、ブランドやかっこよさははなくても、シンプル且つ発売されてから数年経ったPCを買うのが一番と思い知らされた。
(近況報告だが、昨日、Sonyから再度新品交換の申し出があった。早速、販売店に返品、返金が受理されたところである。カスタマーセンターには
度重なる問題で電話代を使わされ、それよりも貴重な時間を使わされ、よい勉強になったが、こんな高価なゴミともお別れである。)
2014年6月1日日曜日
MBAは必要か?
MBAは必要か?
MBAが必要かと質問されることがあるのですが・・・
少なくとも海外で、トップスクールであればMBAはとる意味がある。それ以外では意味はないと思う。
MBAにいったからすごく(その定義はともかく・・)なると思っている人がいるが、それは間違えで、すごい人だからMBAに入学し、修了できるというのが正解である。
(学校によって程度の差はあれど、一般的に)MBA入学で、GMATより比重が高いのはこれまでの仕事での功績である。どれだけ有名な会社でどれだけ大きな功績があるか、起業してどれだけ稼いだかなどをアピールする小論文みたいなものである。それを証明する元職場の推薦状も2,3通用意する必要がある。そして面接試験。
常にMBAホルダーに囲まれて仕事をしていて感じるのは、MBAのトップスクールの人間は、1)仕事はよく出来るし(有名企業での功績)、2)コミュニケーション能力に長けている。そして、3)強いコネクションを持っていることであるが、上記の入学試験の過程でこれらがない人間は落とされる。1)から3)のどれかは弱くても、一つがずば抜けてよいこともある。
例えば、1)、2)はなくても、ある国の大統領、大臣の子息なども3)がずば抜けてよいので入学している。その人間の「存在」自体がすでに「能力」であり「功績」になっている。また今はどこのMBAも資金をほしがっているので、金持ちの子息をいれれば寄付が期待できることも背景にある。
つまり、MBAにいったからどうのというよりは、これまでこれらの能力に長けていた人だからこそMBAに入学ができるのである。
MBAをとりたいと考えていて、1)から3)がなくトップスクールMBAに入れないのなら、あきらめたほうがよいと思う。トップでなくてもMBAは基本的にお金がかかる。トップ以外のMBAにいった人で、周りで給料が下がった人、仕事が見つからないひとをよく知っている。
MBA自体は、入学基準を満たしたすごい人が、同じようにすごい人と、1-2年一緒にすごして友達になり、将来に生かせること以外の価値を提供はしてくれない(あとは、トップスクールのMBAホルダーなのですごい人(なのかも?)という自慢できるステータスぐらい)。
だったら下手にMBAを目指さず、地道に仕事をして日々の中で1)から3)の能力を最大限に高められればMBAにいく必要はないのである。
海外ビジネス雑誌では時々どのMBAに入学すればリターンが大きいか、ROIのよい学校はどこだなど特集を組んでいる。そこには、ペンシルバニア大、ハーバード大、MIT、ノートルダム大など名を連ねる。
私立でも公立でも有名でも無名でも、学費に加え、どれでも生活費、仕事をしていない期間として給料がマイナスであることから負担は大きい。
トップスクールにはいけない、上記の事項は理解している、それでも行きたい人は少なくとも海外のMBAをお勧めする。語学の練習、海外の友人ができるからだ。
私の観察からして、何よりも心に留めておくべきことは、MBAをとった、そして1)から3)の能力をもったからといって「成功=お金が稼げる」に必ずしもつながらないのも世の中の常なのである。。
MBAが必要かと質問されることがあるのですが・・・
少なくとも海外で、トップスクールであればMBAはとる意味がある。それ以外では意味はないと思う。
MBAにいったからすごく(その定義はともかく・・)なると思っている人がいるが、それは間違えで、すごい人だからMBAに入学し、修了できるというのが正解である。
(学校によって程度の差はあれど、一般的に)MBA入学で、GMATより比重が高いのはこれまでの仕事での功績である。どれだけ有名な会社でどれだけ大きな功績があるか、起業してどれだけ稼いだかなどをアピールする小論文みたいなものである。それを証明する元職場の推薦状も2,3通用意する必要がある。そして面接試験。
常にMBAホルダーに囲まれて仕事をしていて感じるのは、MBAのトップスクールの人間は、1)仕事はよく出来るし(有名企業での功績)、2)コミュニケーション能力に長けている。そして、3)強いコネクションを持っていることであるが、上記の入学試験の過程でこれらがない人間は落とされる。1)から3)のどれかは弱くても、一つがずば抜けてよいこともある。
例えば、1)、2)はなくても、ある国の大統領、大臣の子息なども3)がずば抜けてよいので入学している。その人間の「存在」自体がすでに「能力」であり「功績」になっている。また今はどこのMBAも資金をほしがっているので、金持ちの子息をいれれば寄付が期待できることも背景にある。
つまり、MBAにいったからどうのというよりは、これまでこれらの能力に長けていた人だからこそMBAに入学ができるのである。
MBAをとりたいと考えていて、1)から3)がなくトップスクールMBAに入れないのなら、あきらめたほうがよいと思う。トップでなくてもMBAは基本的にお金がかかる。トップ以外のMBAにいった人で、周りで給料が下がった人、仕事が見つからないひとをよく知っている。
MBA自体は、入学基準を満たしたすごい人が、同じようにすごい人と、1-2年一緒にすごして友達になり、将来に生かせること以外の価値を提供はしてくれない(あとは、トップスクールのMBAホルダーなのですごい人(なのかも?)という自慢できるステータスぐらい)。
だったら下手にMBAを目指さず、地道に仕事をして日々の中で1)から3)の能力を最大限に高められればMBAにいく必要はないのである。
海外ビジネス雑誌では時々どのMBAに入学すればリターンが大きいか、ROIのよい学校はどこだなど特集を組んでいる。そこには、ペンシルバニア大、ハーバード大、MIT、ノートルダム大など名を連ねる。
私立でも公立でも有名でも無名でも、学費に加え、どれでも生活費、仕事をしていない期間として給料がマイナスであることから負担は大きい。
トップスクールにはいけない、上記の事項は理解している、それでも行きたい人は少なくとも海外のMBAをお勧めする。語学の練習、海外の友人ができるからだ。
私の観察からして、何よりも心に留めておくべきことは、MBAをとった、そして1)から3)の能力をもったからといって「成功=お金が稼げる」に必ずしもつながらないのも世の中の常なのである。。
2014年3月15日土曜日
小保方晴子氏の顛末と日本の高等教育のあり方について
STAP細胞についての発表で、小保方晴子氏の文書の正当性が揺らいでいる。
小保方晴子氏の博士課程の論文についても海外の文献をコピペしていたことが明るみでた。
適当な文献をグーグルで探して論文を作るのは日本に限らず学生では良くある。有名無名に限らず、学士レベルではその傾向は高い。
大学やそれ以上の高等教育機関は、本当に学問を志す人にだけ門を開けるものでなければならない。日本の大学や大学院を見てみると、周りがいくからや学士時代就職ができなかったからなど、あいまいな気持ちで履修している人間があまりにも多い。教員の地位が守られすぎており、生徒の教育より、生徒の試験を簡単にすることで、生徒に好かれていたい、楽な老後を過ごしたいと思っている教員が多いのは気のせいだろうか?人当たりはいいかもしれないが、本当に世界に通じる人間を育てられない。
研究でズルをしているのは小保方晴子氏だけでなく、日本の学生の多くがやっている。小保方晴子氏はSTAP細胞の件で大きく取り上げられただけに、落ちるときも大きく落とされた。
この事件を受け、常に思い続けていことは再認識した。1)日本の高等教育のあり方が抜本的に見直されるべきである。そして、2)終身雇用の撤廃が社会の全てで徹底されなければならない。
ちょっと、1)の高等教育について一言。。
日本に必要なも人材は、「海外でも日本でも社会のためになることで効率的にお金儲けの出来る人間、リーダー」である。世の中、この素質を身につけられれば大概は幸せに一生を過ごせる(可能性が高い)。そして、そんな人たちが税金を払って、日本の社会保障制度を立て直していくことが期待される。
この素質には、学校といった概念を必ずしも必要としない。昔は、義務教育もまともに受けていない起業家が五万といたし、会社を支えていたのである。それがいつの間にか、大卒でないと企業に応募できなくなったり、中卒、高卒の社会からの評価が下がり始めた。
中卒、高卒の評価が下がったのは、実際に中卒、高卒の質が下がったことと関係する。例えば、戦前に、現在であれば有名な大学にもいけるだけの能力を持った人間が、大学に行くチャンスもなく中卒、高卒として働いていた。
「(語学の面で海外はないかもしれないが、)日本で社会のためになることで効率的にお金儲けの出来る人間、リーダー」の素質を持つ人間が今より格段にいたのではないだろうか。
現在は、立身出世の志をもって中卒、高卒を選んだりするのは稀であり、にっちもさっちもいかなくなった人たちがいわゆる中卒、高卒のグループを代表してしまっているからである。
日本の労働人口は少なくなっているというが、中卒、高卒で社会にでて社会のために金儲けのできる素質をもっている人間は働ければ、労働人口の問題はそれほど深刻ではない。中卒だから、高卒だからといって受け付けない企業や政府が門を開けなければならない。つまり、日本にとって必要な人材を、高等教育の有無と関係なく、十分にを羽ばたく「機会」が与えられる社会が必要なのである。
2)終身雇用の撤廃は、なぜかというと、企業でも、大学でも能力・成績に関係のない安定した地位が与えられる前提に立つと、採用側は、申し込む人間を制限したくなるのだ。例えば、「大卒」、「有名大卒」、「有名企業での勤務経験」、「年齢」、「性別」などなど。仕事で十分な成果が出せないのならすぐにクビに出来る制度が必要である。そして、雇用は全て最長で5年くらいまでの有期雇用にする。
1)および2)には、絶対の前提がある「高等教育は、誰にでも与えられる」ようになることである。
通信でいいので、出来る限り全ての教育を無料で、人生のどの段階でも受けられる、そして、成績を残せば学位・資格なりが与えられる制度が必要だ。医療や法曹、技術系などタブーなく全ての分野で、この高等教育の自由化を徹底されなければならない。
どうでしょうか?
小保方晴子氏の博士課程の論文についても海外の文献をコピペしていたことが明るみでた。
適当な文献をグーグルで探して論文を作るのは日本に限らず学生では良くある。有名無名に限らず、学士レベルではその傾向は高い。
大学やそれ以上の高等教育機関は、本当に学問を志す人にだけ門を開けるものでなければならない。日本の大学や大学院を見てみると、周りがいくからや学士時代就職ができなかったからなど、あいまいな気持ちで履修している人間があまりにも多い。教員の地位が守られすぎており、生徒の教育より、生徒の試験を簡単にすることで、生徒に好かれていたい、楽な老後を過ごしたいと思っている教員が多いのは気のせいだろうか?人当たりはいいかもしれないが、本当に世界に通じる人間を育てられない。
研究でズルをしているのは小保方晴子氏だけでなく、日本の学生の多くがやっている。小保方晴子氏はSTAP細胞の件で大きく取り上げられただけに、落ちるときも大きく落とされた。
この事件を受け、常に思い続けていことは再認識した。1)日本の高等教育のあり方が抜本的に見直されるべきである。そして、2)終身雇用の撤廃が社会の全てで徹底されなければならない。
ちょっと、1)の高等教育について一言。。
日本に必要なも人材は、「海外でも日本でも社会のためになることで効率的にお金儲けの出来る人間、リーダー」である。世の中、この素質を身につけられれば大概は幸せに一生を過ごせる(可能性が高い)。そして、そんな人たちが税金を払って、日本の社会保障制度を立て直していくことが期待される。
この素質には、学校といった概念を必ずしも必要としない。昔は、義務教育もまともに受けていない起業家が五万といたし、会社を支えていたのである。それがいつの間にか、大卒でないと企業に応募できなくなったり、中卒、高卒の社会からの評価が下がり始めた。
中卒、高卒の評価が下がったのは、実際に中卒、高卒の質が下がったことと関係する。例えば、戦前に、現在であれば有名な大学にもいけるだけの能力を持った人間が、大学に行くチャンスもなく中卒、高卒として働いていた。
「(語学の面で海外はないかもしれないが、)日本で社会のためになることで効率的にお金儲けの出来る人間、リーダー」の素質を持つ人間が今より格段にいたのではないだろうか。
現在は、立身出世の志をもって中卒、高卒を選んだりするのは稀であり、にっちもさっちもいかなくなった人たちがいわゆる中卒、高卒のグループを代表してしまっているからである。
日本の労働人口は少なくなっているというが、中卒、高卒で社会にでて社会のために金儲けのできる素質をもっている人間は働ければ、労働人口の問題はそれほど深刻ではない。中卒だから、高卒だからといって受け付けない企業や政府が門を開けなければならない。つまり、日本にとって必要な人材を、高等教育の有無と関係なく、十分にを羽ばたく「機会」が与えられる社会が必要なのである。
2)終身雇用の撤廃は、なぜかというと、企業でも、大学でも能力・成績に関係のない安定した地位が与えられる前提に立つと、採用側は、申し込む人間を制限したくなるのだ。例えば、「大卒」、「有名大卒」、「有名企業での勤務経験」、「年齢」、「性別」などなど。仕事で十分な成果が出せないのならすぐにクビに出来る制度が必要である。そして、雇用は全て最長で5年くらいまでの有期雇用にする。
1)および2)には、絶対の前提がある「高等教育は、誰にでも与えられる」ようになることである。
通信でいいので、出来る限り全ての教育を無料で、人生のどの段階でも受けられる、そして、成績を残せば学位・資格なりが与えられる制度が必要だ。医療や法曹、技術系などタブーなく全ての分野で、この高等教育の自由化を徹底されなければならない。
どうでしょうか?
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