金の切目は縁の切目という言葉は時に感じる。
世の中ゴルフやテニスなどのスポーツやなになに研究会や同窓会などをやっているのは金の切目があっても切れない縁をつくる、つくったあと保持する為であることが多い。また後者のようにつくった縁であっても結局金に結び付かない縁は切ってしまっている人が多いのではないか。
自分がこの事実に気付かない間につくる、又はそれに気付いていない人との縁は切れにくい。幼いころからの友人や学生時代の友人はそう簡単に消えない。ただ一方でも縁=利益の関係を意識し始めるとそれで終わったりもする。
突き詰めてみれば金でなくても恋の相手が見付かるかもしれないなど何らなの利益がある/ある可能性があるから縁をつないでいるのではないか。ただ皆がみなそう見えないのはそう見せまいとする能力を身に付けている人が多いのである。みせないことが相手を警戒させないという意味で寧ろ金に結び付く信用をつかんだり異性を惹き付ける魅力を増大させる。他人を自己の利益に結び付けて考えるのは人間の生存本能から派生する回避し得ないのだろうか。
面白いのは金や性的魅力のあるひとはその事実に気付かない。縁を切られることがないからだ。芸能人で人気があって羽振りのよい時代から転落した人の話で落ち目になったら友人も誰もまわりから消えたという話は往々に聞く。いまこんなことを感じるようになったのは自分の魅力が衰えたからなのかも知れない。芸能人の場合は人の集まり方引き方が一般人より激しいだろう。自暴自棄担ったりはては自殺までしてしまう人もいる。
しかし弱気になればなお魅力は失せる。縁が切れるのは時間的距離的など様々な要因によるものでもある。自分に落ち度が無かったか少し考えて(出来れば、他に(残っている!)いる友人にも訊いてみよう)、後は考えないのが得策だ。縁=利益といやがうえにも考えさせる仕事という要因あるのが現代社会である。営業など、生々しくこの傾向がある。
来るもの選んで去るもの追わずの精神が必要だ。
People tend to see a connection( with others) as a mean to bring an advantage. It is so because of our survival instinct( rooted in the needs to eat, reproduce etc.) and also the society where you need to use the connection to bring some business in your company esp. it is conspicuous when you are in the sale team.
Well, when somebody cuts you out of her/his connection it may mean you are not attractive (monetarily or sexually or whatever she/he considers as an advantage ). But just think a bit if there is anything to that effect( ideally and maybe ask your other friend if any) and if you see nothing wrong, then do not think about it any more and stay positive. Being positive brings more people to you anyway.
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