2017年4月5日水曜日

過去の「偉人」を非難する人たちについて

福沢諭吉のありようを議論する安川・平山論争を知りました。 ちょうどよい機会なので、過去の「偉人」を非難する人たちについて書きます。

一般化するのが好きな僕からしますと 笑、昔の人の考えは、今からの視点から見たら、とんでもないことがほとんど。

今の価値観で、昔の人の価値観を判断すべきかどうかって議論がされるべきじゃないでしょうか。

歴史上、名を残した人はシンパが多かった人ですので、後世に伝えられる過程で、「美化」されて記録される傾向があります。伝記になった人なんかも、なまなましい記録は「校正」された上で、デフォルメされた人物象だけが語られます。 

野口さんも、ここ数年たたかれてます:https://matome.naver.jp/odai/2145952888802142101

TVなどメディアが発達する以前の昔の人は、「今」の視点でみれば、皆さん、隣の村のことでも、うわさなり、嘘なり、吹聴なりで、人づてで取得せにゃならん時代ですので、価値観にせよ、判断基準にせよ今とは比べ物にならないほど極度な「欠乏」状態にあります。したがって、今の意味での(今の正しいとされる価値観に基づいて非難されるべき)「蔑視」・「差別的」な考えになっても、他に方法がなかったと思います。

福沢さんも、野口さんも、そんな「欠乏」状態で、歴史に名を残すほど、多くの人に影響を与えている人ですね。

今の価値観と比べて、その人の考えのどこどこが違う、こう考えることもできたという議論自体はなんらかの意味(例えば、論争の当事者たちが注目を集められて、仕事につながっているなど)はあるのでしょうが、それをもっても非難の対象になりうる「過去の偉人」が「重要な人物」であったことには変わりないです。

また、いつの世もみんな人間ですから、みんなから好かれて、みんなから100点もらえる人物は存在しないってことなんです。