2009年9月30日水曜日

子供の頃の夢は、大人になるごとに小さくなっていくものなのだろうか。

友人の娘からの手紙

昨日、友人の娘さんから手紙をもらった。この友達は京都に住んでいたときにあった方で、2004年来の付き合いであった。手紙には、申し訳ないが父は今年の初め他界したとのこと。ショックであった。何でも、筋肉が弱まる病気にかかり、その後肺炎を発し幾週もいかぬまま旅立たれたとのことであった。人の命は、はかない。普通の人は、人の死とは日常でであわない。日ごろの出来事に忙しくて、死のことなど考える暇も無い。
初めて死を意識したころを思い出す。怖かった。それと同時に、日々を大切に生きなければ、周りの人間も、いつかはお別れすることになるのであるから、大切にせねばと考えた。

死は影のようなもの、普段目に留めないがふと目を向ければいつもそこにある。そこにあって消えてくれない。そうこうしている間に又その存在を忘れてしまう。

2009年9月28日月曜日

殴った記憶は消えやすいが、殴られた記憶は消えない。
殴られるだけのことをしたと自分で納得できる場合の記憶はまた頭から抜けやすい。しかし、不合理に殴られた記憶は消えることはないだろう。
「殴られる」というのは言葉通りの場合も、比ゆ的に使う場合も同様である。

敵は少ないほうがいい。

上海

10月から上海に行く。旧友達との再会。

日本に比べれば、上海では、道路で事故にあうことも有り得る、ものが盗まれることも有りうる。何度か上海にいったが、その度に野生の感覚が磨かれる気がする。東南アジアで、戦後数人の帰還兵が帰ってきたが、彼らのはなしでも、野性の感覚が磨かれる記述があるのを記憶している。

自分のいる環境が進歩するほど、野生の感覚よりコンピューター技術のような他の感覚が発達する(また重宝される)のであろうが、野生の感覚は大切にしていたい。

2009年9月25日金曜日

日本のブランド戦略

自分の会社のブランドが業界のどこに位置するのか。競争を勝ち抜く為、企業はこれをつねに考えなければならない。

業界で最高のブランドであれば、宝石業のように高マージンが得られる。値段が高ければ高いほど、需要が増えることもある。数億円の指輪が売り切れるというニュースは珍しくない。

上場企業の規模であれば、ブランドのポートフォリオを広げるか、狭めるかを選択する余地はある。潤沢な資産があるのであれば、ブランドは多いほうが良い。低所得、中所得、高所得(更にこれら所得グループは、3分割ほどできるだろう)、それぞれの分野に、利益効率の良いブランドを提供する。

日本車は優れているといわれるが、海外にいるとやはり、フェラーリやポルシェ、そこまで行かずともBMWやアウディーを余裕があれば欲しいという気持ちが人々にあるのが分かる。燃料効率や値段といった能力は日本車が優れていても、ブランドでまける。これはいくら企業が宣伝などでブランド力を上げようとしても、限界がある。日本企業は、これらの高級ブランドを買収し、ブランドポートフォリオに組みいれることを考えても良い。日本の衣料品会社が海外のブランドを買ったこともあるが、中途半端なブランド力を持つブランドを買っても意味は無い。

「日本(車であれば、日本産ではなくとも、日本の会社のブランドという意味で)」というブランドもある。日本がGDPでいくらイタリアやフランスより上をいこうとも、車やファッションなどで、これらの国のブランドを凌げない。これらの「国」ブランドは、その国が歴史上、芸術、文化などに基づき築き上げてきたブランドであり、日本企業がいくら一生懸命にブランド向上に投資(イタリアやフランスの一流ブランドが投資している金額を上回る投資をしたにしても)しても、それらのブランドを抜くまでには相当の時間がかかるであろう。いくら日本企業がフェラーリを買っても、「日本」とうブランドが、その企業価値を下げるということも考えられる。その意味で、インドのタタモーターが英国ジャガーを買収したことは、これからのその動向に注目していきたい。生産をインドに移さず、英国でこれまでのままでとしていることを発表したのは、「英国」ブランドを守りたい意図があるのだろう。

「日本」ブランドがどこにあるのか、これは政府やその国の人が考え、築いていかなくてはならない。ある国へ行って、いやな思いをした。その後、その国の製品を買うことをためらった人は少なくないのではないか。日本のイメージは中国や韓国で良くない。その国の政府が、日本の良いイメージを宣伝しないからという言い訳をする人もあるだろう(他国の良いイメージを宣伝しない、これは日本の政府についても言える)が、それは殆どコントロールできないことで、自国のイメージを向上する為、先ずは日本政府が自分で出来ることを全てする。国民一丸となってイメージ向上に取り組めるよう、教育も関ってくるだろう。日本のPR力を高めること。これが日本企業のイメージも高めることにつながる。

企業は、自社ブランドが業界のどこに位置するのかを常に考えなければならない。好感度が上がったのなら、なぜ上がったのか、逆に下がったのならなぜ下がったのかを研究する。(ブランドが上がったのに売り上げは上がらないこともある。ブランド力・売り上げ(利益)の相関関係も考えなければならない。)日本企業ということで、勝てないブランドもあることを認識しなければならない。その場合、海外の一流ブランドを買う選択肢を考えてよい。また、ブランド戦略は、企業だけでなく国も真剣に取り組むべきことである。日本のイメージを海外で向上させることで、日本企業のイメージも相対的に高まる。それが企業の売り上げにつながり日本の経済も向上する。

2009年9月21日月曜日

正義

正義を行うことは難しい。世の中には正義を行うことを嫌う人、嘲笑する人、妨げようとする人があふれている。それらの人間に気を止めずに正義を行い続けなければならない。

2009年9月18日金曜日

昔から絵が好きだった。いつの間にか絵を描かなくなっていた。学校、仕事、日ごろの様々な出来事を経て、絵への興味が希釈されたのだろうか。

久々に絵を描いてみよう。

2009年9月17日木曜日

友達

長年の友達をもっているか。良い友達は多ければ多いほど良い。しかし、友達であり続けることは難しい。例えば遠隔地に移ってしまった後、昔の友達との連絡は年に数度。そして連絡が途切れてしまうことも有る。又は、学校の卒業や転職と同時に切れてしまう縁もある。その時、なにか自分が悪いことでもしたのではないかと考える。この姿勢は、将来の友達を作っていくうえで重要である。過去を振りかえり自分を良い人間にしていく努力をする姿勢、そして同時に、人にはいろいろ事情があるのであるからと、あきらめる姿勢をもつことが大切だろう。

2009年9月16日水曜日

戦争を知らない子供達

戦争を体験していない僕らの世界から、戦争を実際に体験した人が消える日がこわいです。
ある人は世の中の戦争は消えないというでしょうが、世の中の戦争は確実に減っており、日本においては60年ほど戦争は起きていない。その意味で、僕らの日々の生活から戦争の記憶・体験は薄れています。
日本では今から20、30年後、戦時に生まれた方はいるでしょうが戦争の実体験を語れる方は殆どいなくなってします。戦争の悲しい思い出がない世界になるという意味で人類にとって最良のとなるとともに、痛みを忘れたものは再度過ちを繰り返しうる最も危険なときでもあります。

どうにか戦争を体験した人々の声を残せないかと考えています。日本に限らない、世界で戦争体験者の言葉を、その言語のままで残していきたい。

2009年9月12日土曜日

よく寝れる人

よく寝つけない人 よく寝れる人がいる。

これは寝れる寝れないの能力とはほぼ関係ない。

よく寝れない人とは、それまでにいろいろ悩みを抱えそれらを解決できていない人であり、よく寝れる人は、寝る前までにそれなりに解決をつけられている人である。

床に就くまでの問題解決能力が、寝れる人、寝れない人を分けるだけ。

2009年9月10日木曜日

今を生きる意味

自分の存在意義はなにか?自分が死にゆく存在であることを幼い頃に感じた。それ以降、存在意義については時々考えさせられる。

存在意義にはいろいろな種がある。

自分の為に生きる。例えば、お金を稼いで、また偉業を行いそこから得られる他人からの賞賛、自分が他から必要とされているという感じ(虚構であったとしても・・・)。
他人の為に生きる。例えば、自分を育ててくれた親、自分の子供や配偶者を養う為等。

これらの混合した感じから、人々は自己の存在意義を見出している、実際にはそうでないにしても、そうであると自分に言い聞かせているのだろう。

これらが感じられなくなった時、人は生きている意味が無いと感じる。そんな時、上記しなかった理由、地球の為に生きると考えることが論理的だろう。地球の一部でしかない人間、その存在目的は地球的に言えば、地球の運営に資することである。人間の体が小さな細胞によって運営されているのと同様、人間も小さな一部として地球を運営している。

2009年9月3日木曜日

空中分解

幕末の志士を思う。昔のように国を思い国の為に生きる政治家はいるのだろうか。目的の無い若者達が自益のみを考えながら無為な生産をしている。黒船が来るまで平和ボケしていた国民、今の日本に近い状態を見る。これからまた志士たちが現れなくてはならない。そして、日本はこれからも強く伸びる。
日本を統率の無い国に成り果てさせてはならない、日本の空中分解は防がなくてはならない。