2018年2月9日金曜日

ごみ屋敷問題 ごみの分別をシンプルにすれば変わる ーゴミ利権問題

ごみ屋敷の問題があちらこちらで聞かれる。

住宅地を散歩しているとごみがベランダからあふれかえったアパートや、窓をふさぐほどのゴミがたまっている家ををみた。友人宅でも、一人暮らしの20代、30代で、部屋にゴミがたまっているところもあった。ごみ屋敷をはいわないが、潜在的なごみ屋敷であろう。

この問題は、ごみを出す日、分別をもっと柔軟にシンプルにすれば、解決する部分が多々ある。今のゴミ出し、分別の制度は自治体によってもことなるが、非効率なところが多いのだ。細部まで決められた分別を強いる自治体も多い。月に一度しか出せないゴミがある。週に一度しか出せないゴミがある。出す時間も決められている。

人間はそれぞれ、多様な生活スタイルがある。これは、仕事のタイプによるところも多いのではないか。9時から5時の会社生活のスタイルが崩れつつあり、夫婦共働きで、お互い仕事で疲れ果てている家庭も多い。年老いてくれば、病気にもなるだろうし、判断力も鈍ってくる。律儀にゴミのルールを守ろうとして、ゴミがたまっていってしまう可能性はあちらこちらにあるのだ。

いつでもゴミが出せる。いったってシンプルなゴミの分別(燃えるゴミと、燃えないゴミ、ペットボトルとか)にしたらどれだけ楽になる人がいるのか想像にかたくない。

ゴミの分別などで費やす労力をもっと仕事にかたむけて、市民税をもっと納めるほうがいかに自治体の役になつことか。

これに「も」利権が絡む。ゴミの収集作業を、細かい作業にしてけば、仕事も細分化され人も必要になる。これでごみ収集業者は稼ぐのだ。収集業者と行政は癒着しているから、行政も市民も苦労はどうでもいいのである。 

自治体の役割は、そこに住む人が幸せに、効率的に働き、税金をたくさん納められるようにすることなのではないだろうか?

いまの自治体で、そこがわかっていない(わかっててもアクションを起こさない)ところが多い。

2018年2月8日木曜日

一流の大学(学校)かどうか一瞬で判断する方法

日本の大学が世界ランキングでどんどん落ちているという記事はよく目にする。

人間の歴史が始まって(この手のランキングが作られ始めて)以来、日本の大学が世界一になったことはないのではないか?

世界ランキングや偏差値は別にして、別の尺度で一流の大学かどうか一瞬で判断する方法を考えてみた。日本に限るが、昔から自分が使うのは、大学の価値は、学費の高さと反比例する。医学部・薬学系でも、質の高い学校は低い学校に比べて比較的学費は安い。もっと本質に近い尺度としてお勧めするのが・・・

「その大学の学長・トップが、その大学の出身者かどうか」

これだけみれば、その大学の質がわかる。その大学の生徒に教育を施すのに、その大学の卒業生では自信がない、足りないという明確な証明である。その確固たる尺度は、その学校のトップがその学校の卒業生かどうかである。別の学校の卒業生がトップを勤める大学は、運営自体・大学の運命も、卒業生には任せるだけの質がないという証明である。

学校のHPをみると、その学校のいいことが書いてあるが、それはPR文句でしかなく、意味・価値はゼロと考えていい。

これは、高校や中学など他の教育機関についても当然いえることである。

ただし、新設の学校で卒業生がいないという例外もある。これまでの教育機関とまったく違う革新的なことをする機関でない限りは、新設の機関ということだけで、一流ではありえないといえる。

公立小「アルマーニ標準服」を導入 問題になる

東京都中央区立泰明小学校「アルマーニ標準服」を導入で、保護者たちなどから疑問視されているとの記事がでた。( 出典:Huffpost https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180208-00010002-huffpost-soci )

ブランド物の制服自体は珍しくないが、一言。

旅行代理店との癒着の巣窟になっている修学旅行や出版社との癒着の巣窟となる教科書ビジネス、机、椅子、楽器やエアコンの導入なども地元の業者との癒着と同様に、どこの学校でもよくある癒着の構造である。

制服メーカ、その小売業者、学校が役者たちである。

メーカと小売の中には制服ビジネスで食べているところが実に多い。

寂れた洋服店で、お客さんもまばらなのに、なぜか昔からあるところは誰もが見たことがあるはずです。そういうお店の多くは制服ビジネスという利権を得ていることがあります。

制服だけでなく、体操着や水着も上履きなどもふくまれ、継続的なビジネスになっている。

学生の時分は、制服ビジネスことなど気にしないので、ただ親に言われるまま、採寸を取りに行き、親がお金を払って、毎日それを着ていた程度のこと。

結論から言えば、公立の学校は制服など撤廃すべきです。

私立は、一般企業ですから、PR、ブランドを考える中で、制服を売るというビジネスとともに「企業活動」として制服を使い続ければいいと思います。

ただ公立は一般企業ではないので、制服といった一般企業活動は慎むべき分野です。制服に費やすお金を親は、子供に専門知識の訓練のためなどにつかうべきなのです。

一般企業活動を行いたいのであれば、公立の学校にさらに市場(特に、自由競争の原理、透明性の原理、能力主義の原理)の原理を導入し、公務員という安定的な地位もすべて剥奪し、「一般企業」らしく活動を徹底したらいいだけの話なんです。