2018年4月29日日曜日

銭湯の復活策

昔、ちょっと行っていたお風呂屋さんがつぶれると聞き一言

設置数制限で守られてきた銭湯。公衆衛生の意味が強く、風呂がない家も減ってきたご時勢、インバウンドの可能性も無きにしも非ずではあるが、後継者問題もあり減少していくことは避けられない。

後継者問題については、他の仕事と比較して、「衰退産業=食っていけない産業」なら誰しも子供に継がせたくはない。これは愛である。仕事への愛着がないわけではないのだ。

お風呂屋さんも後継者問題などあり、つぶれているところが増えています。

ただ、もしかするとお風呂屋さんは大きな可能性を秘めているかもしれない。

これだけ人口も減って老化して、経済は衰えていくと思われるご時勢。身寄りのない人とか孤独死とかもっと増えてく流れの中で、銭湯を中心とした、コミュニティー形成があってもいい。

敗戦後も似たような社会だったんじゃないかと思う。若者が戦死して、身寄りのない人も多かったんじゃないか。その当時は、国に金もないのだから、効率よく公衆衛生を管理、向上できる銭湯は大事な役割を果たしていた。

最近も、国に金はない。なんか戦後のような状態を感じる。異なるのは、子供がいないので、未来の働き手はいない。

なにかと話題(!?)のアパート経営も風呂なしで、つくって、社会のあらゆる層に住環境を与えて、社会インフラ的もコミュニティー単位でお風呂が共有できれば、効率はいいはず。 

日本は、つい最近まで、みんなそうだったんだし。これから銭湯って大事になれるかもと思う。

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