2013年3月27日水曜日

奨学金問題対策全国会議が発足 奨学金の返済ができない人の急増が背景

親が交通事故にあい家が苦しかったので奨学金にはお世話になった。別に頭が良かったわけではないが、家が苦しかったので奨学金がおり、学校を辞めずにすんだ。奨学金には助けられた一人として思ったことを書いてみる。

ここ数年耳にし始めたのは、奨学金を借りてそのまま返さないで逃げる人が増えているということ。実際に踏み倒した人ともあったことがある。一流大学をでて一流企業に入った方だが、社内でも借金を繰り返したあげく(しかも返さない)、適合できずにやめてしまった。頭は良かったのだろうが、その人の上司からは会社ではまったく使い物にならないととの評価だった。今ではどこにいってしまったのかもわからない。

今日のニュースでは、不況や就職難で奨学金が返済できず、厳しい取り立てを受けたり、自己破産したりする若者が急増しているとして、全国の学者や弁護士らが「奨学金問題対策全国会議」を立ち上げた。

アメリカでは奨学金を借りるのは当たり前で、学費が高いアメリカだけあって、卒業と同時に日本円で1000万近い借金を抱えていることも普通である。新卒採用も基本的になく、それに不況なので仕事がみつからないでいるひとは多い。とりあえず、借金を返すため日本、韓国や中国で英語の教師などしているアメリカ人が多いのはこんな理由である。それにくらべれば日本の状況はそれほど悪くない。

日本に限ったことではないが、そもそも奨学金を借りるということは、それの借りたお金で勉強して、その能力をもとに一生懸命働いて返すことが前提になければならない。それだけの覚悟をもって借りている人がどのくらいいるのだろうか?

入って遊んでいるだけの大学がおおく、受験で一生懸命勉強して入るときから能力は下がったまま卒業にはつかえない人間となってでてくる学校はごまんとある。

いま奨学金をかりようと考えている人は立ち止まって真剣に考えてほしい。学校の名前などどんどん意味が無くなっている世の中になる。一流大学を卒業しソニー、シャープやNECに入った人々が無能だとして大量に首切りにあっている。

では、学校の名前・卒業証書ではない中身を見なくてはならない、このお金を返して、さらにそれ以上に社会貢献できるほどの能力・コネなどを得る場をこの学校が提供してくれるのだろうか?

その答えがYESなら借りたらいい。必死に勉強して、いい仲間を作って、大もうけして社会に貢献してほしい。

その答えがNOなら若いうちから借金などつくらないで、まずは社会に出てできるだけお金のかからない方法で能力を高め、がつがつ稼いでいってほしい。

学校に入るのはある意味いつでもできる(学ぶだけなら、大学に入らなくても講義に参加させてもらうことだってできる)。学校で得られる能力が必要になったときに学校を使えばいい。

みんなが目的意識もなく進学する風潮の今、奨学金のありかたよりも、学生の目的意識のあり方が問われている。

家が貧しくて周りが羨ましかった。周りの家だって本当はそれぞれ事情を抱えていたはずで何も自分の家だけが貧しいわけではなかったはずであるが当時はそんなことには気づかなかった。奨学金だって借りるのは恥ずかしかった。今になって思うが、貧しく生まれるのも人生でそれは変えようがない。しかし、生まれてからの人生は自分でどのようにも変えることができる。

コネも金もなく生まれてきたので、それを嘆いていても何も変わらない。自分は他の人より100倍働いて、100倍早く動いて、100倍もの/人を知り、100倍考え抜いて、100倍リスク管理にも気を配らねばと言い聞かせている。

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